仙岳院は仙台一のお寺だった?

【要約】

仙岳院は承応3年(1654)東照宮勧請の際、別当寺として康国寺が創建された塔頭寺院でした。天台宗東叡山寛永寺の末寺として、傍院の延寿院(現存)、宝蔵院、成就院、吉祥院(東六小)、徳川将軍家位牌所の真浄殿がありました。平泉中尊寺別当を兼ね,仙台藩一門格寺院筆頭として明治まで伽藍を築いていました。ご一新後、廃仏毀釈にと神仏分離により東照宮と分かれました。

 

  仙岳院は承応3年(1654)、二代藩主伊達忠宗が幕府に願って東照宮を勧請、その別当寺として創建したもの。創建当時忠宗は、東照宮の祭祀料として五十貫文、仙岳院関係に五十貫文を管理させた。 東照宮遷座式には、伊達騒動の立役者原田甲斐が奉行を勤め、その時のお布施は合計二万両であったという。これらのことは、仙台藩がいかに幕府に気を使ったかを物語っている。 仙岳院は歴代、仙台領下の平泉にある中尊寺の別当を兼ね、仙台藩一門格筆頭寺院として明治に至り、神仏分離により東照宮と分かれた。

天台宗東叡山寛永寺の末寺。承応3(1654)東照宮勧請の際,その別当寺として康国寺が創建され,仙岳院はこの康国寺の塔頭寺院であった。傍院として延寿院(現存),宝蔵院,成就院,吉祥院,徳川将軍家位牌所の真浄殿があった。平泉中尊寺別当を兼ね,明治まで仙台藩一門格寺院筆頭。山門は総ケヤキ造りで,正面に昭和52年に仙台市制88周年を記念して「名木・古木88選」に指定された樹齢330年のクロマツがあった。本堂は山門から入って奥の右手に位置し,一度火災に遭ったが明和3(1766)に再建。創建当時は山門・参道は本堂の正面にあったが,JR仙山線開通により山門が移動し,参道正面が庫裏,右手に本堂という形になった。