延寿院には韋駄天の神がいた?

【答えの要約】

浄圓房大権現とは、江戸時代初期に仙岳院で修行して「浄圓坊」と呼ばれた実在の僧侶「浄圓大徳」をいい、韋駄天の様な健脚で、師僧が臨終の時に好物の最上の豆腐を所望したところ、即座に最上まで往復して豆腐を持ち帰り食膳に供して喜ばれた。と伝えられています。一生の間に湯殿山へ往復すること二百三十八回におよんだ霊験を讃え「浄圓房大権現」と尊称して祀りました。

 

延寿院は、創建当時仙台東照宮の別当寺院仙岳院の傍院として、万治三年(1660年)に建立され、寺領三十五石を付せられていましたが、文政元年(1818年)五月に消失。文久元年(1861年)仙岳院十五世住職亮湛大和尚が再建。その際に、浄圓坊の木彫像を一体造り「浄圓房大権現」と尊称し、「阿弥陀如来」の石像と共に御本尊として本堂「浄圓堂」に祀り今日に至っています。

浄圓房大権現

浄圓房大権現とは、江戸時代初期に仙岳院で修行して「浄圓坊」と呼ばれた実在の僧侶「浄圓大徳」をいい、韋駄天の様な健脚で、師僧が臨終の時に好物の最上の豆腐を所望したところ、即座に最上まで往復して豆腐を持ち帰り食膳に供して喜ばれた。と伝えられています。一生の間に湯殿山へ往復すること二百三十八回におよんだ霊験を讃え「浄圓房大権現」と尊称して祀りました。足の病など難病を治す霊験があるとして、今も尚、多くの尊崇を集め、仙台で開催される多くのマラソン大会で仙台を訪れる選手や関係者の中、足を怪我した走者がお参りし、完治したお礼に草鞋や運動靴を奉納する光景は今も見られます。疣神尊は浄圓坊が羽黒山から背負い持ち帰り祀ったもので、水疣等の疣をとる尊像として今もお参りする人が多く、一説には道祖神としての尊崇も受けていると言う伝承もある。