15 仙台にアメリカの軍隊と病院があった?

【答えの要約】

太平洋戦争に日本は敗戦、仙台には当初(昭和20916日)に第14軍団司令部が置かれたのは(旧逓信省:旧仙台簡易保険局)で、その年の暮に14軍団は廃止され翌214月には第9軍団司令部が札幌から仙台に移された。昭和32年まで米国陸軍の第172病院として稼働した。 

 

 太平洋戦争が終結、日本は敗戦し、仙台には当初(昭和20916日)に第14軍団司令部が置かれたのは(旧逓信省:旧仙台簡易保険局)で、その年の暮に14軍団は廃止され翌214月には第9軍団司令部が札幌から仙台に移された。 

仙台城(旧陸軍第二師団)は昭和201945)年、大規模な空襲により川内は壊滅的な被害を受け、仙台城以来の遺構である大手門をはじめ、多くの施設が焼失しました。その跡地は戦後占領軍によってそのまま接収され、米駐留軍の施設及び居住「キャンプ・センダイ」として旧仙台簡易保険局から移設されました。昭和321957)年まで使われていきます。その後、当初キャンプ仙台が置かれた(旧逓信省:旧仙台簡易保険局)には米国陸軍の172nd Station Hospitalが置かれ、朝鮮戦争時まで活用され、その後昭和32年の米軍撤退まで活用されました。

    ◆旧仙台簡易保険局(現在:かんぽ生命サービスセンター)は昭和11(1936)年に施工、当時の仙台にあっては鉄筋コンクリート造4階建て、地下1階 2棟連結という強固な建造物であり、米軍の接収は戦中から計画的に行われ、仙台空襲の標的から外された。所在は、仙台市青葉区上杉3-2であり、2棟のうち、北側棟は破却されたが、南側の建物は現在 かんぽ生命サービスセンターとして活用されている。