10 万寿寺に煎茶の祖 売茶翁がいた?

【答えの要約】

煎茶道の茶神と呼ばれた月海元昭(高遊外 売茶翁)は、万寿寺の住職・月耕道稔を訪ねて仙台に来訪、2327歳までの5年間(16971701)を仙台万寿寺で過ごしています。

 

売茶翁は禅僧で煎茶人。青製茶法による良質の煎茶を考案した宇治田原の永谷宗円と出会い、その煎茶を売る生活に入り、高遊外と名乗ったが、世に売茶翁と称された。売茶は腐敗した禅僧社会の覚醒を促すことにあり、多数の詩にも詠じ『梅山種茶譜略』を著し、茶神と呼ばれた。月海元昭(高遊外 売茶翁)は、万寿寺の住職・月耕道稔を訪ねて仙台に来訪、2327歳までの5年間(16971701)を仙台万寿寺で過ごしています。村田珠光や武野紹鴎らが茶湯の始祖で、千利休は侘び茶、茶聖と称されるのに対し煎茶の祖・中興の祖と呼ばれるのが一 売茶翁はです。中国からお茶文化が入ってきた際は漢方薬とされ貴重で、身分の高い人の飲み物でした。売茶翁は上流階級の文化だった茶の風習を民衆にまで広めた人です。現在の佐賀市蓮池町に生まれ、黄檗宗の禅僧として各地を巡り長崎で煎茶学んで60歳を過ぎてから売茶の業 ( 1杯のお茶を売り禅を説くことを始めました。京の鴨川のほとりに日本初の喫茶店「通仙亭」を構えました。万寿寺は1696年に伊達家4代目当主伊達綱村公が加美町黒沢にあった安養寺を廃し、宝物と本尊釈迦牟尼佛を現在地に移し創設したと伝わり、当時は周囲に15ヶ寺の禅寮を配する伽藍を成し最盛期には修禅者500人を擁したといわれる大寺院で大年寺とともに仙台における黄檗宗の一大伽藍でした。江戸時代を通じ伊達家の当主の喫むお茶の水は、石州流清水派の茶頭が茶を点てる際は万寿寺の「さざれいし」のたもとに湧き出る清水を用いたと記録にあります。