仙台祭の「おまつり」は伊達の華?

【答えの要約】

江戸時代の仙台祭は「おまつり」と呼ばれた山鉾は最大70基と行列は数千人に及び、宮町通りは山車の版画やお土産品を求め国中から多くの見物客と逗留者が訪れ、宮町の商店の奥方らは祭りの期間中に一年分を稼ぐと言われるほどの人出をがある仙台最大のお祭りで、現在の「仙台・青葉まつり」につながる歴史を持ちます。

 

 仙台領最大の祭りであった仙台祭は明暦元年(1655年)に始り、毎年917日に仙台東照宮より出発。「おまつり」と呼ばれた山鉾は町方十八ケ町から最大七十基が繰り出され華やかで盛大な国中を挙げて行われるお祭りでした。祭礼行列は5段階に分かれて足軽・騎乗の武将等行列山車行列神輿行列別当仙岳院供奉行列後陣供奉の足軽組・武頭行列で構成。東照宮を出発した祭礼行列は宮町の通りを進み、御神輿は途中東照宮御旅所(現東六番丁小学校)に一旦到着。その他の行列は北一番丁を西に向かい通町を経て国分町を南下、歴代当主は祭礼に合わせて東照宮を参拝後に当主と奥方様やお姫様と共に国分町外人屋の二階座敷に座して見物。神輿以外の行列は国分町の街道を南下、芭蕉の辻を右折、御譜代町などの氏子町を通りながら、大町から大手筋を西に向かい、片平丁の大身歴々の屋敷前を経て清水小路から仙台一長い東六番丁通りを北上、東照宮に戻るまで約10㎞ほどの行程で、所要時間は約7時間ほどで、お祭りの行列は数千人に及び、宮町通りは山車の版画やお土産品を求め国中から多くの見物客と逗留者が訪れ、宮町の商店の奥方らは祭りの期間中に一年分を稼ぐと言われるほどの人出をがある、仙台最大のお祭りで一年を通じて1番の娯楽した。